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米ミズーリ州にある「ハリー・S・トルーマン・ミュージアム」=2023年5月8日、牧野愛博撮影。館内の展示物はトルーマンらが日本との戦いで、どうやって犠牲者を減らすことができるのか苦心していた様子を強調している
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 80年前の7月16日、米国は世界で初めて原爆実験を行いました。米国は翌8月、広島と長崎に原爆を投下しました。米国では今も、原爆投下は「人命の犠牲を最小にするために仕方のない行為だった」という考えが主流を占めています。今月、「誰が日本を降伏させたか 原爆投下、ソ連参戦、そして聖断」(PHP新書)を発表した防衛研究所戦史研究センターの千々和泰明国際紛争史研究室長は「戦後も日米の主張は食い違ったままだが、2016年のオバマ米大統領の広島訪問により和解が進んだ」と語ります。

米ソ日独、各国が競った原爆開発

 ――第2次大戦では各国が原爆の開発を目指しました。

 ナチス・ドイツは1939年ごろから原爆の開発に着手しますが、予算や人員の投入が十分でなかったこともあり、45年5月の降伏までに原爆の保有には至りませんでした。米国はドイツの動きを知り、亡命したアインシュタインらの助言もあって開発に乗り出しました。

 日本も陸軍が理化学研究所、海軍が京都帝大にそれぞれ委託し、開発を進めましたが、最終的に「大戦中の開発は不可能」と判断し、45年7月に打ち切りました。その2週間後、米国が広島に原爆を投下しました。

 ソ連も開発を急ぎましたが、兵器用プルトニウムを使った長崎型原爆の開発に成功したのは49年になってからでした。

 ――米国はソ連に原爆開発成功をドイツ・ポツダムで伝えました。

 45年7月17日からドイツ・ポツダムで、米英ソの三首脳が集まり、日本をどうやって降伏させるかについて議論していました。(米大統領)トルーマンは(ソ連の最高指導者)スターリンに原爆開発に成功したことを伝えます。スターリンはその席では特段の反応を示しませんでしたが、ソ連に帰国後、ワシレフスキー極東軍総司令官にソ連の参戦を急ぐよう指示しました。原爆開発によって、日本の降伏が早まり、ソ連の極東での権益拡大が難しくなると考えたようです。

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■原爆を開発、ソ連抜きでポツ…

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